瞬く星の隙間に。

自分を極限まで殺してまで他人と関わる必要はあるのか。雨。風。祈り。大切な人はもう失った。ただただ心の中で信じてた。17歳の頃は大切な人と大人になったら幸せに過ごすんだと勝手に思い込んでた。でも19歳の今、裏切られ続けられることが多くて何もかも嫌になってしまった。所詮、赤の他人だったのだ。あの人は最後私に対してこう言った、自殺は自己陶酔であり、例え周りの人から慕われてたとしても、それが肉親であっても、「あーあ、死んじゃった。」としか思われないと。そのことを私に言って何が言いたかったのか、まだ私にはわからない。深夜、2人でコンビニに行った。寒空の下、ふと空を見上げてみるとプラネタリウムのような光景が私を圧巻し、瞬く星の数を数えるので精一杯だった。それが、最後の思い出。ただ、あの人と関わった3年間、一筋の光さえ見い出し、心から本当に救世主だとも思った。それはもう面と向かって伝えられないが感謝をしている。あの人と出会わなければ知らなかった知識、知らなかった人間関係、知らなかった景色、知らなかった思い出。決して忘れることの出来ない言葉。

 

 

私は、人形じゃない。

それは、まるで霧雨のような

誰かと繋がっていても寂しさは紛らわせられない。心の奥底から垣間見える寂しさを君はどうやって埋めてくれるのか。温かい家庭。居場所のある空間。誰もが私を肯定してくれる、そんなものなんて存在しないのさ。長い年月をかけて例えそれが現れようとも私はそれを認められるのか、不安でしかない。怖いんだ、誰もいなくなってしまった世界、誰も私のことを見てくれない世界、何が正義で何が悪なのか最早それは神のみぞ知る。あぁ、また霧雨が降ってきた。夜はまだまだこれからだ。

藍色の華

7月も終わりに差し掛かり8月が来ようとしている。8月はなんだか中学1年生の夏休みや去年の薬、インターネット制限生活など様々な思い出が頭をめぐりなんだか憂鬱な気分になる。去年していたことといえば真夏の中歩いて駅前の予備校に長袖で通い、帰ってきたら自分の部屋ではなく1階のリビングで寝る、薬はもちろん親の管理下だ。携帯もiPadも親の管轄下に置かれろくにインターネットもできなかった。ただその境遇の中こっそりと昔の携帯や古いiPodなどをつかいTwitterをしていた(結局それもバレて没収されました)。ODをすることがなぜ悪いことなのか、それがわたしには全くわからない、ましてや親の金でもなく自分の金で買ったものに親がいちいち文句を言う義理がどこにあるのだろうか。今年は運が悪く肺炎にかかり今まさに病棟のベットの上で最早忘れかけていたはてなブログを執筆している。毎日決まった時間に起き、三食きちんと食べる。私は太った気がしてならないのだが、これもOD生活にもどれば解消するだろう。あと最近はフォロワーの家に居候することが多く、そこでの生活は何の制限もなくただただ純粋に楽しいのだ。だが、食費生活費を出す代わりにフォロワーは私用の薬代は一切負担しない。私はそのためにしたくもない性行為を見ず知らずの他人としてお金を得ている。身体を売ることでしか手に入らないなけなしのお金で市販薬を買い、毎日ラリる。ラリっていない私などなんの価値もないつまらない人間であるからだ。薬をのんでいないと誰からも相手にされない。興味を持たれない。誰もあたしを見てくれない。他人と私の境界線を少しでも融かしたくて毎日ODをする。一週間ほど先の肺炎のため入院して薬と離れた生活を送ったが、やはりつまらないのだ。平凡な毎日に何か刺激が欲しい。そして私は17歳の恋に溺れていた頃の自分を思い出して死にたくなる。未だに彼を恋愛対象として見ているが、どこか彼も変わってしまったようでここ1年は毎日もしていたDMをしていない。ただdiscordで話す時間は極端に増えた。この距離感が私や彼の寂しさを埋める唯一の関係性であると最近感じた。でもやはり17歳の頃の恋焦がれていた毎日が光のように眩しくて、戻りたいとも思う。人は独りでは生きていけないのだ。あと1年で20歳になる自分が想像もつかなくて、生きているかもわからないが、ここに記した私のブログを見返してどんな反応をするのだろうか。

大人になんてなりたくない。

藍色

今月がんばったことといえば高校卒業のためのレポート。半年分ぐらい溜まってたけどなんとか全部出し切ることができた。だが、まだ終わってないスクーリングやテストもあるので無事卒業できるかはまだ怪しいところがある。卒業後、自分が何をしたらよいのかもわからず、ただただ藍色に浸っていたいだけ。

嗤うマネキン

正しさについもたれて 失っていく妄想や希望、光り立つ未来 、きっと僕は形のない理想にずっと縛られる 嗤われるように作られたマネキンなんだ。朽ちゆく身体と心を連れ 一人当て無く漂っていくの 。きみはいまどこにいるの。教えてよ。

病名は愛だった。感情も、感傷も、感覚も、感動も、関係も、関心も、完成もないようなそんな毎日、毎日が毎日であってこれが普通なんだって思い知らされる。夢の中で何度も何度も殺した自分を指折って数えたって現実はどうしようもないんだね。誰もわかってくれない。だから誰のことも理解できなかったこんな自分をいっそのこと殺してくれるならば、愛してください。生きてる意味ないんじゃないの?生きてる意味ないんじゃないの?生きてる意味、生きる希望、生命、いのち、いのちの重さはあなたにはわかりますか。墜ちるとこまで堕ちてけばいい。飲み込んでよ東京。