藍色の華

7月も終わりに差し掛かり8月が来ようとしている。8月はなんだか中学1年生の夏休みや去年の薬、インターネット制限生活など様々な思い出が頭をめぐりなんだか憂鬱な気分になる。去年していたことといえば真夏の中歩いて駅前の予備校に長袖で通い、帰ってきたら自分の部屋ではなく1階のリビングで寝る、薬はもちろん親の管理下だ。携帯もiPadも親の管轄下に置かれろくにインターネットもできなかった。ただその境遇の中こっそりと昔の携帯や古いiPodなどをつかいTwitterをしていた(結局それもバレて没収されました)。ODをすることがなぜ悪いことなのか、それがわたしには全くわからない、ましてや親の金でもなく自分の金で買ったものに親がいちいち文句を言う義理がどこにあるのだろうか。今年は運が悪く肺炎にかかり今まさに病棟のベットの上で最早忘れかけていたはてなブログを執筆している。毎日決まった時間に起き、三食きちんと食べる。私は太った気がしてならないのだが、これもOD生活にもどれば解消するだろう。あと最近はフォロワーの家に居候することが多く、そこでの生活は何の制限もなくただただ純粋に楽しいのだ。だが、食費生活費を出す代わりにフォロワーは私用の薬代は一切負担しない。私はそのためにしたくもない性行為を見ず知らずの他人としてお金を得ている。身体を売ることでしか手に入らないなけなしのお金で市販薬を買い、毎日ラリる。ラリっていない私などなんの価値もないつまらない人間であるからだ。薬をのんでいないと誰からも相手にされない。興味を持たれない。誰もあたしを見てくれない。他人と私の境界線を少しでも融かしたくて毎日ODをする。一週間ほど先の肺炎のため入院して薬と離れた生活を送ったが、やはりつまらないのだ。平凡な毎日に何か刺激が欲しい。そして私は17歳の恋に溺れていた頃の自分を思い出して死にたくなる。未だに彼を恋愛対象として見ているが、どこか彼も変わってしまったようでここ1年は毎日もしていたDMをしていない。ただdiscordで話す時間は極端に増えた。この距離感が私や彼の寂しさを埋める唯一の関係性であると最近感じた。でもやはり17歳の頃の恋焦がれていた毎日が光のように眩しくて、戻りたいとも思う。人は独りでは生きていけないのだ。あと1年で20歳になる自分が想像もつかなくて、生きているかもわからないが、ここに記した私のブログを見返してどんな反応をするのだろうか。

大人になんてなりたくない。